タグで繋がる。無理矢理に。

なんか最近はてブとタグについて考えてたら、タグについての記事がたくさんブクマされてた。
例によって例のごとく、まとまりきってないけど、書く。


結局タグってもんは暴力的なんだなあってのが結論。
といっても[死ねばいいのに]とか[これは酷い]とかいう意味ではなく。


たとえば、たとえば「そろそろドラえもん痛烈にdisっといたほうがいい」と考えたブロガーさんがいたとしましょう。いや別にドラえもんじゃなくてもいいんだけど。
でも、そのブロガーさんはいろいろ考えて、直接ドラえもんのことを書くのはよそうと決めた。うまいことぼかして、わかる人だけわかってくれればいいやと思った。あるでしょ?そういうこと。


で、そのブロガーさんはそれなりに時間をかけて考えて、ひとつの記事を書いた。
反響があった、素晴らしいエントリだった。
でもそんな努力もたった数文字で覆される。


[ドラえもん]


「なんだよそれ?!俺が何日も考えて、気を遣って書いたのに。お前がそのタグを打つのに使った時間は?五秒か?三秒か?やってらんねえっつーの!」


これって暴力的じゃないかい?
日記書き、文章書き、ブロガーなら少しはわかってくれるんじゃないかと思ってる。
上で例にしたブロガーさんはドラえもんのことについて書いていたから、[ドラえもん]とかタグ付けされても、まあしょうがないかもしれない。
でも、僕達はどんなタグだって付けられる。このブロガーさんの書いた記事に[テニスの王子様]とタグ付けすることだって出来るのだ。
これって暴力的じゃないかい?


その記事に含まれていない語句をタグ付けすることで、検索エンジンだけでは関連付けられなかった文書、ファイルを関連付けるのがタグの真価だとは思う。しかもテキストベースのファイルだけではなく、画像・音声・動画、なんにでもタグは付けられる。でもそれは本質的に暴力的な行為なのだ。


これから、タグを利用した検索サービスは増えていくと思う。その時、記事本文に含まれていない語句をタグ付けすることで、その語句も検索対象に含まれることになる。
これは、Google的視点に立てば、その記事にその語句が追記されたのと同じだ。
タグ付けっていうのは、他人の作ったエントリに勝手に追記するのと同じなのだ。
これって怖い。今まであの人やあの人の記事にどんな言葉を書き足してきたのだろう。怖い。


そして、ここまで暴力的だからこそ、タグには力がある。その力を気軽に使えることにも大きな意味がある。
ならば、ならばだよ、もっとタグ付けについて考えても、ちっとも考えすぎじゃ
ないはずだ。


アンタ方には、この広大なネットにちらばる幾万・幾億のURLに、十個ものタグを付ける大きな力があるんだぜ、ええ?はてなブックマーカーさん達よぉ!


また書く。


関連リンク
http://nya.livedoor.biz/archives/50237628.html


追記
英辞郎に "violent" の意味を聞いてみたら「暴力的な」のほかに「こじつけの」っていう意味もあるんだってさ。自分でもびっくりした。また一つお利口さん。