“スルー力”の個人的定義とそれに対する立ち位置
どうも「スルー力」という言葉の使われ方が気に食わないというか、違和感があるというか、なんかアレなので自分の中のスルー力の定義を書き出してみよう。
スルー力とは
- 主にウェブ上で
- 自分に直接影響のないコトやモノに対して
- 匿名でない状態で
意見や立場を表明することを“あえてしない”能力
一つずつ簡単に説明を。
主にウェブ上で
皆さんご存知のとおりウェブ上で「発言する」ことと「発言しない」ことの間には大きな隔たりがあります。
我々bloggerは書いたことのみで判断されがちなので、何か思うところがあったら書かなければならないような気がしてしまう。しかも書いたことは基本的に広大なウェブ全体に公開される。1か0かですね。
この状況であえて言わない、あえて書かないという選択肢を選び取るのは意外と難しい。
自分に直接影響の出ないコトやモノに対して
「どうでもいいけど」とかいって書いてみたりね。
例えば何か論争があったりして、それが自分へ向けられたものであれば返事をするのは至極当然なんですけれど、そうじゃない場合でも上記の通りbloggerの習性によって首を突っ込みたくなるわけで、それを阻止するのがスルー力。
匿名でない状態で
ここでいう“匿名”はいわゆる黒木ルールによる匿名に近いかな。つまりはbloggerとか継続的にはてブを利用してるはてなユーザーも匿名とはみなしません。匿名ダイアリーとか2ちゃんねるを見て「スルー力が足りない!」なんて思いませんので。
あれ、でもこの定義だとほとんどのbloggerやブックマーカーが「スルー力が足りない」って言われちゃうよ?
そうですね。
スルー力に富んでたらbloggerなんてやってるわけないじゃん。何言ってんの?
じゃあ「スルー力が足りない」って言われないためにはどうすればいいか。それに答えるためには「こいつスルー力ねぇなあ」と思うときを考えてみましょう。
あるブログエントリを読んだとしましょう。そのエントリは突っ込みどころの多いものでしたが、bloggerであるあなたは色々考えて何も書かないことにした。ところが後日あなたが思ったのと似たようなことをまさに記事にしているbloggerが居た。その時あなたは思います。
「(俺はスルーできたのに)こいつはスルー出来てない。こいつにはスルー力が足りない!」
とまあ、そういう優越感ゲームっつうんですか? そういう感情を沸きたてるものなんですよね、この言葉。少なくとも私にとっては。
ではそんな言葉を投げられないためには……
読者の想像を外してやればいい。
正攻法で上へ越えるのもいいし、斜め上、もしくは横に吹っ飛ばす。あとは逆とか裏とか何でもいいです。読者を裏切れ!
そうすれば、「スルー力が足りない」と思われる前に、別の感情を呼び起こすことが出来ます。そうなりゃ勝ちです。
ある意味で言えば、そういうエントリーが書けるまで考える、時機を見ることが「スルー力に富む」ってことなのかも知れませんね。
例えば普段政治やら経済やらのことを詳しく書いてるbloggerがはてなちゃんのぱんつについてのエントリーを突然アップして、しかもそれが説得力に溢れる素晴らしいものだったら、「スルー力」とか言い出さないでしょ。やっぱはてなちゃんのこと書かせてもあの人は凄いなあってなるでしょ。記事の内容とか題材なんてどうだっていいんですよ。出来のいい記事ならどんなに通俗的だろうが、流行に乗ってようが評価される。